温厚なスポーツドクター  田熊 清彦先生を偲ぶ

私がまだ30代で済生会総合病院にお世話になっていた頃、新しく院長になられた田島先生から大変忙しくなったので私の代わりに静岡県スポーツドクター協議会の理事になってくれないかと打診されました。当時右も左もわからない私は、田島先生の代わりにと理事会に出席したところ、なんと他の理事の先生方は、郡市医師会長かその経験者と大病院の院長からなっていたのであった。何て場違いなところに来てしまったのかとただ会議が終わることを願っている状態でした。会が終わり急いで帰ろうとしたところ、にこにこして声をかけて頂いたのが当時副会長であった田熊先生でした。緊張していた私を見て察してくれたのか「僕も先生ぐらいの時には結構有名なスポーツドクターだったんだよ。先生みたいな若い人が入ってくれると嬉しくなるよ」。
以後講演会の度に「芳村先生~」て声をかけてくれて、演者の先生と記念写真を撮ってくれました。2017年2月に三島医師会の内科医会主催の講演会の演者に呼ばれたときでした。なんで中部地区から私が指名されたのかなと思いながら、会場を見渡すと田熊先生がにこにこしながら私の話に耳を傾けてくれていたのでした。講演が終わった後、早速駆けつけてくれた先生はいつもよりちょっと嬉しそうについに私の後継者が出来たよって鬼頭先生を初回して頂き、いつものように記念写真を撮って頂きました。残念ながらお会いするのはこれが最後になってしまいましたが忘れてはならないのは、もう一つのお仕事が、三島の文化財ともいえる「はめ字遊び」です。先生の作品が新聞に掲載されたときはこれは楽しそうに理事の先生方に切り抜きを配っていました。言うまでもありません。今でもせっせと作品を作っておられることは間違いありません。
 
 田辺会長とエスパルス管理栄養士 古旗 照美先生
 三島医師会の先生方 左端が田熊先生 右端が鬼頭先生
 田熊先生の作品の一部です。
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